「或る日曜日の詩」 山村暮鳥
「或る日曜日の詩」 山村暮鳥 けふは何といふ日であらう 此の善い日曜日は 空はくもつてゐるけれど 自分達はうれしさに跳ね起きて そして朝の聖餐を 高徳なやさしい老宣教師からうけるために 町の寂しい教会をさしていそいだ おお此の身を切るやうな冬の朝 老宣教師の異人さんの物悲しい火のやうな祈祷 キリストの肉と血 此のパンと葡萄酒 これをたべ これをのみ 而して生きよ 土の中なるみみずのやうに おおいまは全くみみずのやうだけれども かくも天のめぐみに充ち溢れた自分だ 妻よ きつとお前も此の貧しさを 大きな愛のしるしである此の人間のくるしみを ようく感謝してきたらう 更に此等のくるしみが喜んで忍べるやう ようくおいのりしてきたらう こども等よ お前達はいつもみつかひのやうであれ 空はいよいよ険悪になり ぽつぽつ雨さへ落ちてきた けれども妻よ ひさしぶりで敬虔なお説教をきき ひとびとと一しよに讃美歌をうたひ どんなに清清しい気持であるか それから小さい蟇口から 生命のやうな銅貨を二三枚 それが自分達の全財産だつた それをつまみだして みんなそれを こつそり信施嚢に投げこんだお前 そして今 教会の門をでるところだつた そこへ自分が雨傘と足駄をかかへて駆けつけたのを見て につこりしてくれたお前 おお健気な妻よ 自分は泣いてなんかゐやしない これは雨のしづくだ